麻(産業用ヘンプ)と大麻(薬用大麻)の遺伝的構造、カンナビノイド生合成経路については、近年、ゲノム解析技術の進歩により、多くの知見が得られてきました。しかし、Cannabis sativaのゲノムは複雑であり、カンナビノイド生合成の遺伝的な制御機構については、まだ不明な点が多く残されています。
生合成とは:
生物が単純な物質から複雑な物質を合成するプロセスを指します。
ところで、大麻の研究状況を知っておくことは、どのようにビジネスや経済とかかわってくるのでしょうか?
まず遺伝子を理解することでカンナビノイド含有量を制御する技術が進展すれば、より効率的で需要に合わせた麻や大麻の品種開発が可能となり、新たな市場機会を生み出します。また、医療分野での利用が広がる中、合法的な大麻産業の成長が見込まれ、投資や雇用の拡大にも寄与します。どのようなプロダクトを商材として選択するのか等、このような情報を頭に入れた上でできるより良い選択は無数に存在します。
さらに、ビジネスに関係なく、研究を知っておくことで科学の眼鏡をかけた状態で、大麻産業をめぐる情勢を見ることができます。
今回は「大麻(Cannabis sativa)の遺伝子というキーワードのもとに、これまでにわかっていること・まだわかっていないことの二つに分けてまとめてみました。全てを網羅できているわけではないですが、大麻という歴史的にもおもしろい植物を科学的な目線をもってみるためのきっかけになればと思います。
麻(産業用ヘンプ)と大麻の「遺伝子」の研究について
これまでにわかっていること
・ヘンプ(麻・産業用大麻)と大麻(薬用大麻)はどちらも Cannabis sativa という種に属し、カンナビノイドの含有量が異なる点が特徴です。ヘンプ(麻・産業用大麻)は精神活性作用のあるテトラヒドロカンナビノール(THC)の含有量が低く、カンナビジオール(CBD)の含有量が多いです。一方、大麻(カナビス)はTHC含有量が高く、CBD含有量は少ないものから多いものまで様々です。(Sawler et al., 2015)
・ヘンプと大麻の遺伝的構造は、THCとCBDの含有量の違いに関連しています。特に、THCA、CBDAシンターゼ遺伝子の遺伝子コピー数多型と発現レベルの差異が、ケモタイプ(化学型)の違いに影響を与えていることがわかっています(Christopher et al, 2021) (Daniela et al., 2019)。
シンターゼ遺伝子の発現レベルは、カンナビノイドの含有量に大きな影響を与えます。例えば、THCAシンターゼの発現量が多い大麻(カナビス)系統ではTHC含有量が高くなり、CBDAシンターゼの発現量が多いヘンプ(麻・産業用大麻)系統ではCBD含有量が高くなります。
コピー数多型:
遺伝子コピー数とは、特定の遺伝子がゲノム内に何個存在するかを指します。例えば、通常、ヒトの細胞には各遺伝子が2コピー(1コピーは父親から、もう1コピーは母親から)存在します。しかし、遺伝子のコピー数は個人間で異なることがあり、この現象を「コピー数多型(Copy Number Variation: CNV)」と呼びます。
参考 JST(科学技術振興機構)
・ヘンプ(麻・産業用大麻)と大麻(カナビス)の遺伝的多様性は、地理的起源、栽培の歴史、育種目標の違いによって形作られてきました。例えば、ヨーロッパのヘンプは繊維生産のために選択されてきた歴史があり、東アジアの麻は種子生産のために選択されてきました。一方、カナビスはTHC含有量を高めるために選択されてきた歴史があり、その結果、世界各地で様々な品種が生まれてきました。 (Small et al., 2015)
・近年のゲノム解析により、Cannabis sativa の遺伝子地図が作成され、THC:CBD酸シンターゼ遺伝子座における大規模な再編成が明らかになりました。さらに、カンナビノイド生合成経路に関わる遺伝子の特定や発現解析が進められています。(Walker et al., 2014) (van Bakel et al., 2011)
THC:CBD酸シンターゼ遺伝子座における大規模な再編成とは、カンナビノイドの含有量を決定する上で重要な役割を果たす、THCA・CBDAシンターゼ遺伝子の位置と構成が、さまざまな大麻の品種の間で大きく異なることを意味します。 簡単に言うと、これらの遺伝子がゲノムのどこに、どのように配置されているかは、大麻がTHCとCBDをどれだけ産生するかに影響を与える可能性があります。
遺伝子地図:
染色体上の遺伝子の位置を示した地図のことを指します。これは、遺伝学的地図や染色体地図とも呼ばれ、遺伝子が染色体上にどのように配置されているかを視覚的に表現するものです。
カンナビノイド生合成経路に関わる遺伝子は、ゲノム上でクラスターを形成している可能性が示唆されています。これは、カンナビノイド生合成が遺伝的に密接に制御されていることを示唆しています。(Grassa et al., 2021)
まだわかっていないこと
・ヘンプ(麻・産業用大麻)と大麻(カナビス)の進化の歴史と遺伝的分化については、まだ完全には解明されていません。例えば、大麻(Cannabis sativa)がいつ、どこで栽培化されたのか、また、ヘンプ(麻・産業用大麻)と大麻(カナビス)がどのように分岐したのかについては、議論が続いています。(Lynch et al., 2016)
・カンナビノイド生合成経路に関わる遺伝子の調節機構については、まだ十分に理解されていません。特に、環境要因や栽培条件がカンナビノイドの含有量に与える影響については、さらなる研究が必要です。(Lynch et al., 2016)
・大麻のゲノムは複雑で、遺伝情報全体の情報決定が困難とされています。そのため、カンナビノイド生合成に関わる遺伝子のコピー数や構造変異の解析が進んでいない部分もあります。 (Daniela et al., 2019)。カンナビノイド生合成経路の全体像、特に、前駆物質の生合成や輸送に関わる遺伝子や酵素については、まだ十分に解明されていません。
・色々な遺伝子の機能を失わせることで、THC 0%の品種を作出することは理論的には可能ですが、現在の遺伝子編集技術の限界や、遺伝子編集作物への規制・社会的合意の形成を含む、その他さまざまな問題によってまだ実現には遠い状況だと言えます。
引用文献
- Sawler, J., Stout, J. M., Gardner, K. M., Hudson, D., Vidmar, J., Butler, L., Page, J. E., & Myles, S. (2015). The genetic structure of marijuana and Hemp. PLOS ONE, 10(8). https://doi.org/10.1371/journal.pone.0133292
- Daniela Vergara, Ezra L Huscher, Kyle G Keepers, Robert M Givens, Christian G Cizek, Anthony Torres, Reggie Gaudino, Nolan C Kane, Gene copy number is associated with phytochemistry in Cannabis sativa, AoB PLANTS, Volume 11, Issue 6, December 2019, plz074, https://doi.org/10.1093/aobpla/plz074
- Grassa, C. J., Weiblen, G. D., Wenger, J. P., Dabney, C., Poplawski, S. G., Timothy Motley, S., Michael, T. P., & Schwartz, C. J. (2021). A new cannabis genome assembly associates elevated cannabidiol (CBD) with hemp introgressed into marijuana. New Phytologist, 230(4), 1665–1679. https://doi.org/10.1111/nph.17243
- Small, E. (2015). Evolution and classification of Cannabis Sativa (marijuana, hemp) in relation to human utilization. The Botanical Review, 81(3), 189–294. https://doi.org/10.1007/s12229-015-9157-3
- Walker, B. J., Abeel, T., Shea, T., Priest, M., Abouelliel, A., Sakthikumar, S., Cuomo, C. A., Zeng, Q., Wortman, J., Young, S. K., & Earl, A. M. (2014). Pilon: An integrated tool for comprehensive microbial variant detection and Genome Assembly Improvement. PLoS ONE, 9(11). https://doi.org/10.1371/journal.pone.0112963
- van Bakel, H., Stout, J. M., Cote, A. G., Tallon, C. M., Sharpe, A. G., Hughes, T. R., & Page, J. E. (2011). The draft genome and transcriptome of Cannabis Sativa. Genome Biology, 12(10). https://doi.org/10.1186/gb-2011-12-10-r102
- Lynch, R. C., Vergara, D., Tittes, S., White, K., Schwartz, C. J., Gibbs, M. J., … Kane, N. C. (2016). Genomic and Chemical Diversity in Cannabis. Critical Reviews in Plant Sciences, 35(5–6), 349–363. https://doi.org/10.1080/07352689.2016.1265363